T O P








自転車にのれるようになると
一気に世界が広がります
町内で遊んでいたのが隣町へ
川を渡り、山へ

風と汗が心地よい

自転車にのっている絵ではなく
降りて歩いているところが
ぼくの気持ち……
このイラストと詩はふろくさんの下記HPより拝借しま した。とっても美しいイラストと詩でいっぱいですよ。 http://www.geocities.jp/pnttr401/index.html

おつきあいのきっかけ

我が家には10年以上も乗らずに下屋に放置してあった女房のママチャリがあった(女房が車の免許を取り、自転車に乗らなくなったため)。その自転車は勿論パンクしていて、錆だらけだった。でも自転車屋で修理すれば自分の用足しに使える・・くらいの気持ちで、その自転車を苦労して車のトランクに積んで行ったら案に反して自転車屋に笑われた。「修理不能」の程度まで傷んでいるので捨てるしかないと言う。修理をすれば乗れないことはないとは思ったが、確かに傷みの程度もひどい。
自転車が超貴重品で高価な国なら兎も角・・・などと言い訳的に思いながら、結局自転車屋の口車に乗って通学用的自転車(内装3段変速つき)の新品を買うことになり(標準価格4万円程度のブリジストン製の型遅れを24,000円で)、これが自転車と私の付き合いの始まりとなったのである。2004年晩夏の汗も滴る蒸し暑い日のことであった。

つきあってみて、もう夢中

最初は「近くのコンビニへ行くときの下駄がわりに」くらいの軽い気持ちであったが、これが結構手軽・便利でコンビニは勿論、郵便局、図書館、郊外の量販店にも自転車で行くようになり、更に自分で手弁当を作ってよくサイクリングにも出掛けるようになった。それまでは何でもかんでも車に乗っていたが、天気が許して、距離が10数キロ以内で、大きな荷物が無い限り、自転車の方が気軽で楽しいことをはっきり認識したのであった。

折りたたみ自転車との出逢い

自転車人生の最初の1年が過ぎた2005年秋、車で出掛けた先でも自転車に乗れたら・・などと思い、単なる思い付きの感じではあったが、同じ自転車屋でブリジストンの折りたたみ式自転車:トランジットライト(7段変速付き)を買った(4万円台後半)。乗ってみると最初はハンドルがとられる感じであったが、それにもすぐ慣れてすっかり気に入ってしまった。何と言っても自転車自体が軽いし(10.7kg)漕ぐペダルも超軽い。見た目も何ともおシャレで、時々注目して振り向く人もいるくらいだ。子供たちの熱い視線が結構楽しい。そして、車で出掛けた先で乗るつもりだったこの折りたたみ式自転車が毎日乗り廻すメインの自転車になるのにそう日数はかからなかった。

家内にも1台

そのうちに家内も折りたたみ自転車が欲しいと言い出した。「そうか。二人で自転車で出掛けるのも悪くないか・・・」などと思って、今度は自転車屋ではなくインターネットで片っ端から種類や値段を調べた。そして分かった。変速機つきで本当に軽いのは意外と少ないこと、値段が10万円以上の高級品と2万円以下の2極に集中していること・・などなど。そんな中で、自分が今乗っているブリジストンのトランジットライトが7段変速にしては軽く、しかも値段もまあまあ手ごろで、そしてデザインもおシャレで、やはりこれしか無いなあということになり(家内も同意)、今度はインターネット通販で購入した(代引きで43,000円くらい)。乗ってみて家内も至極気に入った様子であった。でも家内とは毎日一緒に乗れる訳ではない。なにしろ家内はホテルの接客アルバイト、書道クラブ(段持ち?)、服飾クラブ、家事全般、疲れたときは昼寝・・と、兎に角多忙なのである。でも、たまに一緒に出掛けるのも気分的にすごく良い効果がある感じで、悪くないナと思っている。

自転車と健康:昔は高価な必需品/今は手軽な健康レジャー用品

最近は用があっても無くても1日に最低7km程度乗ることを目標としている。というのは、これもインターネットで調べたのだが、自転車は思っていた以上に健康に良いらしいことが分かってきたからである。健康のためには長距離を乗る必要はなく、時間で20分程度、距離で7km程度(いずれも1日当たり)乗れば十分らしいのである。車では近い距離でも歩くとなると面倒臭い・・そんな所へ自転車で気軽に行けたら、という気持ちで始めた自転車であったが、健康に非常に良いと分かり、物凄く高価な、思ってもいなかった付録を手に入れたような気持ちで嬉しかった。能書きによると、自転車はダイエットや心肺機能増加に効果があり、高脂圧症・高血圧・動脈硬化の予防や脳の活性化にも役立つということらしい。ウオーキングよりもオススメと書いた記事もあるくらいである。

コンビニに行くときの下駄代わりにと思って何気なく始めた自転車、始めてみると楽しくて自然に毎日のように乗るようになった自転車、健康に非常に良いのだと後で分かって良い気分にさせてくれた自転車、これからも続けてゆくと思う。そういえばインターネットの自転車効用のサイトに書いてあったっけ・・・健康に良いからと健康を目的に自転車を始めても動機が不純で続かない場合もあるが、楽しいから自転車を続けていたら結果的に健康に良かったというのが最高なのだと。私の場合この最高のケースにピッタリ合っているように思う。

子供の頃を思い出すと、当時マイカーは言うまでもなく夢のまた夢で、あってもオートバイか自転車だった。勿論圧倒的に自転車が多かった。親父がいつも油を差したり磨いたりして自転車を手入れしていた。そう言えば昔の自転車はピカピカに光っていたっけ。放置自転車も無かった。昔は生活の足としてとても大事で、高価な必需品だったんだ。それが今では車で溢れ、自転車がホームセンターで数千円でも買える時代になり、逆に自転車が健康の改善のために見直されて脚光を浴びる時代になった。でも今は自転車が傍若無人な走る凶器として社会的に騒がれ始めており、自転車ファンとして密かに心を痛めているし、せめてマナーだけは忘れないで乗ろうと思っている今日この頃である。

下記URLは2005年10月5日に放送されたNHKの”ためしてガッテン”で、自転車の効用を特集したサイトです。 http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2005q4/20051005.html


我が家の3台の自転車
2台の折りたたみ式自転車は折りたたまなくても
玄関内の脇にスッポリと収まります。




日常生活の中に溶け込んでいた流行歌

昔、と言っても戦中と戦後間もなくの頃の事だが、当然カラオケなんか無かった。では一般民衆はカラオケ大盛況の今ほど歌わなかったのかというと、そんなことはなかった。いや、むしろ今よりも歌と生活が有機的に溶け合っていた。日常生活の中でアカペラで鼻歌的によく歌ったし、娯楽の殆ど無い当時においてはラジオや蓄音機で聴いた流行歌を口ずさむことは、仕事をしながらでも出来る極く身近な娯楽であり、歌は生活の一部だったのである。

そう言えば最近鼻歌を聞くことは殆ど無くなったが、昔は鼻歌を歌う・歌を口ずさむということはオヤツを食べる・ガムを噛むくらいの日常的動作だったのである。今のカラオケのように金を遣って歌うのではなく、もっと日常生活の中で金を遣わずに今以上に頻繁に歌われていたと記憶している。すなわち、当時の日常生活には歌が溢れていたのである。そんな環境の中、わたしは北国の貧農家で幼〜少年期を過ごした。外で仕事の無い冬の季節、母は足踏みの紡毛機を踏みながらいつも歌っていたし、隣の伯母も従姉も手仕事をしながらよく歌っていた。学芸会や演芸会では学校のオルガンを伴奏にして、歌がダントツの主役であった。当時始まって間もないNHKののど自慢をラジオで聴くことは最高級の楽しみのひとつであったし、それがステイタスでさえあった。

そんな中で聞いた歌は私の体の中に自然に沁み込んで今でも生き続けている。私が東海林太郎・津村謙・霧島昇・田端義男などの歌を自然に歌えるのは、その頃日常的に民衆に歌われていた歌が体に沁み込んで生き続けているからである。

カラオケに到る序奏

20歳代後半の頃、楽器が好きだった私はギターを持っていた。簡単なクラシック曲を練習するかたわら演歌もよく弾いたし、爪弾きながら歌いもした。また当時、携帯(と言っても手提げカバン大)のステレオテープレコーダーが流行っており、それも持っていた。ある時思いつきで自分で演奏する演歌のギター伴奏をこのテープレコーダーに録音し、それを再生しながら歌ってみたら、結構具合が良かった。演奏を忘れて歌に集中できるからである。考えてみれば、これが今のカラオケの原型であるが、当時は凄いアイデアだなんて気が付かなかった。まだ巷にカラオケは出回っていなかったし、戦後から流行っていた歌声喫茶の終焉の時代でもあったように思う。その頃社内旅行で熱海に行ったとき、伴奏を録音したこのテープレコーダーを持参して宴会場での余興で、再生される伴奏に合わせて「湯の町エレジー」を歌ったら、3番が終わる頃には旅館(ホテル)の仲居さんたちのほぼ全員が珍しがって宴会場に聴きに集まってきて、拍手大喝采を浴びたという思い出もある。

カラオケ熱中時代

昭和50年代になってカラオケが出回るようになり、スナックバーあたりで盛んに取り入れるようになった。その頃はまだカセットテープ式のみで、レーザーデイスクが出回ったのはずっと後のことである。女房に怒られながら、よく飲みに(歌いに)行ったっけ。そのうちにカラオケ専門店も現れ出した。以来30余年カラオケとつきあっているが、カラオケが普及してから後は歌に関する懐かしい思い出は乏しい。人々がテレビやCDで歌を聴き、カラオケで練習して歌を覚えるといった、より便利な手段が当たり前になり、歌の伝播の形態が無機質的なものに変化していったのも事実である。

疎遠と再会

平成に入って私のカラオケ熱も下火になった。週一回が月一回になり、その内に忘年会とか歓迎会の2次会のときのみになり、すっかり昔の趣味になり果てていた。そんな私が声を出しにくくなるという状況に陥ったことがある。5〜6年前の事だが、ハスキー状態よりも更にかすれて話をするにも力が要るといった具合であった。医者に行くなどは考えもしなかったが、逆療法としてカラオケで思いきり声を張り上げたらどうだろうかと考えた。そしてカラオケ店の会員になって1ケ月ほど歌いまくってみたら、何と昔の声が戻ってきたのである。

健康への効用

それから数年ずっと歌っていたが、2年前不整脈的な症状を感じて病院で精密検査を受けた時、心肺機能の検査の時に肺活量を計って驚いた。何と5,200ccと測定されたのである。青年の頃でも4,000ccを超えた記憶が無いのにである。「何かスポーツをやっていますか?」と看護士に訊かれたくらいである。勿論肺活量が増えるほどのスポーツをやった事が無い。最近になってまた肺活量を測る機会があったが4,600ccあった。自分の年齢・身長から計算する標準肺活量は3,400ccであるから、標準よりかなり多い。私は、これはひとえにカラオケのせいではないかと思っている。私は目一杯息を吸い込んで、それを少しづつ吐き出しながら発声するようにしているが、それが肺活量を増やしたのではないかと思っている。違うかな・・?

上記の通り心肺機能への効用の他、気分転換・ストレス解消・ボケ防止・うつ抑止にもいいらしい。本格的に腹式呼吸で歌えるようになればもっといろいろな効用があるように思う。健康への効用ということで考えれば、カラオケは上手くなくてもいいのである。呼吸法を身に付けて楽しんで歌いさえすれば効用は同じ筈である。ただ、歌うからには人に厭がられずに上手に気分良く歌いたいから練習するのである。いずれにしても自己満足の世界と縁が切れない趣味には違いないのだが・・・。





   

合唱への憧れ

合唱はカラオケと違って一人では出来ないジャンルである。実はこれが合唱の、とてつもなく大きな壁であると思う。小さな(小中学時代の)時からずっと合唱に憧れていながら、つい最近まで実現出来ずにいたのは、この大きな壁が原因だったと思う。それでは最初から実際の合唱に無縁だったかと言うとそうでもなく、子供の頃からハモリのメロディ(主旋律でない方)を覚えていた曲に「聖夜(Silent Night)」、「荒城の月」、「埴生の宿」の3曲がある。

考えてみれば戦後間もなくの小・中学の時代、音楽の時間に斉唱は多かったが合唱の機会は非常に少なかったように思う。それでも上記の3曲を覚えていたのは何故だろうか? 授業で習ったのだろうか? いずれにしても覚えた合唱曲を唄う機会がほとんど無くて、嫌がる弟を相手に家で重唱したのは鮮明に覚えている。

本格的合唱との出合い



それから50年、半世紀が過ぎた。その間合唱を忘れていた訳ではなく、ずっと憧れを抱き続けていた。だが本格的合唱の願いは叶わずにいた。それは先ほど言った”一人では出来ない”という大きな壁が邪魔していたからである。定年退職になり時間を自由に使えるようになっても市内には女声合唱団しかなかった。

そんな時である。偶然にも私の身近で第九合唱団を結成して歳の暮れに歌おうではないかという話が持ち上がって、私は推進役にはならなかったけれど話はどんどん進んだ。そして4か月の練習の末100名余の混声合唱で12月に堂々と(*)第九の合唱をやってのけたのである。もちろん私もバリトンの一員としてその中に加わっていた。今から4年前のことである。第九の合唱はそれから毎年回を重ね、昨年の12月までに臨時公演も入れて6回を数える。(*:ベートーベン作曲 交響曲第9番第4楽章(合唱))

一昨年12月の第九公演を終えた時のことである。第九合唱団は公演後解散して8月の再募集まで練習も何も無い。それでは淋しいので有志で恒常的な混声合唱団を作ろうではないかという話が持ち上がった。何の異論もなく私もその中に加わった。この街で初めての混声合唱団として新しく動き始めたのは昨年の2月のことである。以後原則として毎週2回の練習をこなしながら楽しく練習に励み、公演でも好評を得ている。上の左の写真が市民音楽祭第九合唱団で、右の写真が混声合唱団である。

ということで、私は永年の念願が叶って混声合唱団の一員になれたのである。今後男声合唱団を結成してはという話もあり、とても魅力的な話ではあるが今のところ話だけに終わっている。でもとりあえず今後の夢として温存しておきたいと思っている。

健康への効用

カラオケの項で述べたように歌うことは健康に大変良いようで、当然合唱にも同じ効果が期待できる。しかしそれだけではないと私は思うのである。普通カラオケの場合は一人舞台なので、どんな姿勢でどんな発声で歌おうと自由であり、「下手クソだな」と思いながらも指導してくれる人はまず居ないのが実情である。逆に指導的助言をすると、余計なことを言うなと怒られるのがオチである。

その点合唱は、私の経験上のことではあるが、背筋をピンと伸ばして腹で呼吸して喉の奥を広げて口角を上げて歌うことを要求される。声を出すだけでも健康に良いが、この合唱の声の出し方が更に健康に良いのではないかと思うのである。合唱をやっているお陰で、散歩の時も背筋を伸ばして歩くのが日常になってきたのは嬉しいことである。

それともうひとつ。合唱を行う前に必ず柔軟・屈伸運動が行われる。これは血行を良くし発声を滑らかにするためと思うが、この柔軟・屈伸運動は普段の健康維持にもとても大事だと思う。一日に一度だけでも(寝る前などに)これを行うことにより肩凝りの解消に役立つのである。

合唱団に入って大好きな合唱曲を歌う喜びは当然のことながら71歳を迎えるこの年になって、合唱が健康維持にとても役だっていると実感している。それは体だけではなく、ドイツ語、ラテン語、英語(勿論日本語も)などで歌うことによって、またそれを暗譜するという訓練をすることによって頭の体操にも役だっていると思うからである。

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