プロフィールの頁

T O P

生い立ち

北海道の大雪山の麓の、冬はマイナス30度に迫るような山あいの農村で1941年に生まれ、そこで中卒まで育ちました。幼い頃(戦中と昭和20年代)は甘いものや卵や肉が手に入りにくい超高級品だった時代で、食べることに夢中だったためDVやいじめを気にしている暇なんか無いような(いじめによる小・中学生の自殺なんか聞いたことなかった)、生命力を保つのに必死の時代でもありました。

でも、そんな時代にも(そんな時代だからこそ)音楽に癒しを求める気持ちに変わりは無かったようで、父親がヴァイオリンと横笛とハーモニカを演奏する音楽好き人間でしたが、私もその血を引いたように思います。

家業の農家を継ぐつもりでしたが、どう間違ったのか船員になる学校に進学して卒業後そのまま船に乗り、子供ができて27歳で船を下りてからも陸上で船関係の仕事を続けて定年退職を迎え、結局船が私の一生の職業となりました。途中で職を変え、いろいろな経験をするのも人生勉強だと思いますが、私の場合、最初に選んだ道を定年退職まで曲がりなりにも歩いて来ることができて、これもひとつのラッキーな生き方だったのかなと感じています。

現在は関東地方のとある港町で定年後の余生を送っていますが、気候温暖なこの土地で残りの人生を送ろうと思っています。ホームページを開設するに当たり、何か適当なニックネームをと考えたとき、船員(seaman)だった年寄り(old man)をくっつけてold seamanにしました。


DTM(コンピュータ・ミュジック)との出会い

< 出会い >
パソコンが8ビットから16ビットへ移行期の頃(1985年前後)、趣味でパソコンのプログラム作りをしていました。当時はちょうどMIDI規格が黎明期にあり(最初のVer. 1.0が公開されたのが1982年とのこと)、8ビットマシーンもMIDI規格の音源に対応していました。私がDTMと出合ったのはその頃です。

< 思い出の8ビット・マシーン:Sharp MZ-2000 >
当時この種の汎用PC用のDTMソフトがあったかどうか定かではありませんが、プログラム開発言語BASICで音楽データの打ち込み可能であり、私の場合すべてそれでやっていました。最初に手懸けたPCはSharp MZ-2000(8ビット)で外部記憶装置がカセットテープという、今から考えるとビンテージ以前と言ってもいいような超時代物でしたが、マシーンは優れもので、オプションのHuBasicと組み合わせるとかなり強力でした。

< 思い出の8ビット・マシーン:Fujitsu FM7AV >
次に手懸けたPCはFM7AV(これも8ビット)ですが、補助記憶装置が既に3.5"フロッピーで、付属のF-BasicでDTMを楽しみました。余談になりますが、当時のN社の8ビットマシーンも16ビットマシーンも勿論MIDI演奏に対応していましたが、MIDI演奏中に頻繁に息つきを起こすのでMIDI演奏用としては全く使い物になりませんでした。 その点、MZ-2000とFM77AVはMIDI演奏に優れもので、懐かしい思い出のマシーンです。

< 再 会 >
2003年夏のこと、本当に久々(約18年)振りに趣味専用のPCを購入しました。 それまで仕事専用のPCを買ったことはありますが前記の出来事以来DTMともしばらくご無沙汰していたのです。 しかしこの新しいPCで矢張りDTMと再会することになりました。最初フリーウエアの楽譜入力ソフトと内臓音源で楽しんでいましたが物足りなくなり、音源やソフトをボツボツと買い足し現在に到っています。

< 何故DTMを? >
私がなぜDTMを始めたかを強いて考えてみると、自由に音楽を表現してみたいという欲求があるのに上手に楽器の演奏をできないという事が理由だったように思います。好きなパソコンをいじっているうちに、DTMの性能がある事を知り、飛びついた次第です。

その他の趣味:写真・カラオケ・合唱

DTMのほかには写真・カラオケ・合唱をやっています。合唱はもともと興味を抱いていたのですが最近具体的になりまして、街の混声合唱団(36名)に加入して楽しくやっております。合唱の世界では各パートのメロディ(音取り)を楽譜だけでなく実際に音に出してメロディ習得の教材にする必要がありますが、DTMで得た知識がその辺でとても役に立って、DTMをやっていて本当に良かったなぁと思っています。 「合唱曲の部屋」はもともと当HPに無かったのですが、合唱に力を入れるようになった最近になってから追加しました。


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